2009年4月22日水曜日

しんどいときの、おまじない

「すべてのことには意味がある」だとか、「神様が与えてくれた試練なのじゃ」というのは、しんどくてモチベーションが下がろうとしている状況で自分を奮い立たせる物語なわけです。

しかしそういう自分を超えた物語はあまり活用したくないな、と思うわけです。

こんな試練蹴散らしてくれるわ、というプライドや、本当に自分を必要としている人を想像するとモチベーションさげてる場合ではない、という価値志向のマインドによって、うまく自分を駆り立てる人間でありたい。

とまあ、つまり、いまそこそこしんどくなってきたわけです。仕事的に。

2009年4月13日月曜日

成長に飢える

「成長に飢える」ことが大切なのだと思います。

つまり、いまの自分に物足りなさやふがいなさを常に感じるということ。(まあ、なかなかそこまでのバイタリティを保つのは簡単じゃないわけだけれど・・・)

それは、単なる仕事への「慣れ」や新しいことの「記憶」を安易に成長と呼んで無邪気に笑っているのとは似て非なるものです。

自分を否定し続けることは、結構つらい。だから、成長に飢える人は、どこか陰鬱としているものです。

そういう人間に、なりたい、けれども、なかなかむつかしい。

2009年4月9日木曜日

文化の違い

「文化の違い」とは一体何なのでしょう。

いやー、あの人とは文化が違うからね、という発言は、だから相互理解をあきらめるという主張の枕詞に聞こえたりすることがあります。

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「自分は目の前の人が言っていること、考えていることをまったく理解できていないのかもしれない」という想像力が、大事だし、えてして不足してしまう。

2009年1月2日金曜日

NHKと、憂鬱な年明け

元日の夜、NHKスペシャル「激論2009 世界はどこへ そして日本は」をつけました。(で、冒頭15分で見るのをやめました)

7人の論客が経済や社会、政治の現状とこれからについて激論するという番組。「論客」とは、竹中平蔵・八代尚宏の構造改革組に金子勝やよくわからん弱者救済系ジャーナリストが相対するというわかりやすいというか安直な構図。(勝間和代の位置づけはよう分からんかった。)「激論」とは、言いたいこと言い放題のやんやかんや、という意味。

まず、一つ目のテーマにぶっとびました。(事前に詳しくは知らなかったのか、竹中もぶっとんでました。)

テーマは、「市場原理主義」

っておいー。笑

何が悲しいって、こんなテーマを掲げてしまうNHK職員の不勉強。もちろんわたしもまったくの不勉強ですが、「市場原理主義」と堂々と叫ぶことがどれだけ恥ずかしいことかわかるのにはそれほど勉強いりませんぞ。

そしてさらに滅入ったのが金子勝やよくわからんジャーナリストの自分の主張唱えとけばいいやという姿勢。しかもその裏に正義感がある、もしくは、あるふりをしているのがやっかいでめんどくさい。

竹中が冒頭で「市場原理主義者vs弱者救済いい人」のような単純な二項対立で考えるのはやめましょうと言っているのに完全無視。とりあえず言いたいことを言いまくるんです。

しかも、その言いたいことが、あまりに論理的でなすぎる。つまりある時点でAが行われて、その後あまり良くない結果のBが起こったときに、Aを全否定するという論法。例えば、「構造改革が非正規雇用をうんだ」とか「こんな金融危機が起こってるから、ブッシュの「市場原理主義」はダメだった」とか・・・。

これらは単純に事実誤認ですよーーー。

憂鬱な一年が始まったのだと再認識させるには十分すぎる番組でした。

2008年12月31日水曜日

忘年会

運良く年末は仕事無し。

昼過ぎに起きて、シャワー浴びて、飲みに出かけて、タクシーで帰宅、睡眠。昼過ぎに起きて・・・。という生活をしておりました。

普段仕事しかしてないとこういう生活を許せてしまうところが怖い。でもこれだけ一緒に飲める友達がいるのは幸せなことです。

今日で忘年会もひと段落したし、明日から新年にかけてのんびり自分のこと考えたり本読んだりしよう。

2008年12月25日木曜日

攻め続ける

このブログには今年の5月くらいに他のブログから移行したのですが、8ヶ月がたとうとしているのにも関わらず、小説を読んだことも、お芝居を観たことも、音楽を聴いたことも、映画を観たことも、ふとした景色に心奪われたことも、書いていないことに気付きました・・・

やっぱりこの一年は結構必死でやってたんだなあ。おいしいものいっぱい食べた一年だった気はするんだけど。

さてさて、来年はどういう一年にしますかね。もしくは、なっていくんでしょうね。

いつだって人生は僕の手の届かないところで決まってるけど、人生への対峙の仕方は自分で決められる。まだまだ待ちの姿勢ではいたくない。

2008年12月24日水曜日

What to do against poverty?

昨日自分がしたエントリーを読んでいてふと思ったのが、わたしには怒りとか憤りといった感情を持つのがひどくむつかしいということ。

これだけ開発援助に関わっていて、これだけODA予算が減り続けていれば、憤りの一つや二つ抱いてもおかしくないけれど、なぜかそういうものがふつふつと湧き上がってくることはないのです。

研究のモチベーションは不条理への憤りだと言ったフェミニストがいたけれど、どうもわたしはそういう人間ではないらしい。

だから、"Fight against poverty"というスローガンはわたしにはしっくりこない。"Fight"するだけの気持ちの高まりが欠けているからです。

ただ、"Fight"する以外の、Povertyとの付き合い方もあってもいいと思います。もっと何かこう、ふわふわした付き合い方が。